今夜、ラジオに出演します。

2007年12月11日

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このたびラジオ出演が決まり、ラジオ対談の運びとなりました。ラジオ日本プロジェクトの鳥羽展維さんと知り合って、急遽出演となりました。収録スタジオがその番組で確保していたところ空きがでたので、善は急げで意味が解らぬままにスタジオにかけつけ、組まれた番組に間に合わすということで、先週金曜日に収録しました。対談のアナウンサーは山内あやりさんで、若いですがアナウンサー人生哲学を既に身についている妙齢の女性です。対談1時間半ほどかけて話したのですが、話が弾んでどこまでが雑談で、どこまでが収録かわからなくなってしまいました。後は番組制作者の伊藤さんが切り貼りして番組にしてもらうことになっているので、私も聞くまでどういう風に出来上がっているのか検討つきません

番組は本日夜10時半から30分間放送されます。番組名は「ラジオわたしの物語」です。対談は医者と作家というものを絡めた対談です。これで作家というものを公共的にお披露目しますので作家仲間入りと気持ちが沸き、悪い気持ちではありません。神様の集会で末席に座っている貧乏神のような心境です。
 ラジオ日本(日本放送と違います)は麻布にあり関東地方というエリアに電波を流していますが、グレイト首都圏ですので人口は3000万人ぐらいあるでしょう。この母体でどんだけ・・・の人が聞いてくれるか解りませんが、聞いた人が反応を示してくれればありがたいと思います。
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この番組はホームページも持っていますので、関連するページに連絡するようになっています。私のブローグにも通じるようになっています。今まで眠っていたブローグを復活させねばということで、急いでこの原稿を書きました。今まで多忙ということにかまけてサボっていました。原稿は書いて出していたのですが、ホームページには掲載しませんでした。これから、心を入れ替えてブローグを活性化させてゆきます。

 テレビの収録は二回目だと思います。もっと個性を出した方がよかったかなと反省しています。有名になる方は聴衆をひきつける魅力があるのだろうと思っています。再チャンスがあれば、今度こそ個性出しをと決意していますが、三度目が来るのはいつなのか検討もつきません。とにかく報告までに。

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お米の話(その3) 無事に早乙女祭を終了

2007年12月11日

 平成19年5月3日新潟県長岡市にて無事に古式豊かに江戸末期から明治にかけて一世を風靡した稲「白藤(しらふじ)」の田植えを済ましました。この品種を細々と保存してきた新潟県農林試験場から長岡市の上原社長が育ててきて大掛かりに種籾ができたので、鳴り物入りで田植えしようということになりました。

当日は五月晴れ下に、テレビと新聞、各二社の取材付で華やかに実施いたしました。

 東京家政大学派遣の早乙女陣が全員「もんぺ」に「姉さんかぶり」の懐かしい姿に、泥墨で化粧した顔でインタビューに応えていましたので演出効果抜群でした。おかげでテレビでは結構長く提供してくれ、新潟人に東京家政大を知らしめたのでありがたい限りです。

 我が「早乙女田植え保存会」は、要請あればどこでももんぺ姿で駆けつけますのでご連絡ください。
 心ははや「稲刈り」に向かっています。稲刈り、稲干し、落穂拾いなど懐かしき行事が待っています。その前に草取りと田車押しの手入れ行事もこなそうという話もあります。
 その折は会員の皆様も昔取った杵柄の気持ちで是非のご参加を。

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お米の話(その2)   除草機

2007年12月11日

 懐かしい響きがあります。除草機ですからどんな草でも取ってみせる、という機械かなと思いますが、田の草取り専用です。だから、一年のうち出動するのは数回で、後は倉庫の肥やしになっています。
この農具も今は消えてしまいました。

除草機は雁爪と呼ばれる潮干狩りに用いる用具の親分みたいな除草農具が進化したものです。除草機は動力部と除草部から成ります。動力は両手でひたすら押すという完全人力式です。除草部は水を切り草を倒してゆく露払いの前部、長い爪を数個持つ車輪で草を引っこ抜いてゆくという心臓部から成ります。車輪は縦二連式もあれば、横二連式もあります(見たことのない人にいくら説明しても分かってもらえませんでしょうが)

私は除草機といえば蛇と蛙を思い出します。蛇がやたら出る田で除草機を押していると、蛇がのんびりと前を横切ってゆきます。ある日、蛙がものすごい速さで通り過ぎてゆき、その後を蛇がこれまた凄い速さで通り過ぎて行きました。どちらの眼も血走っていたのをありありと思い出します。

そういう思い出深い農機具もトラクター出現で消えました。除草トラクターの製作は無理だったのでしょう。代わりに除草農薬が出現しました。農薬は手軽で人手要らずで田から草は消えましたが、蛇も蛙も、そしてドジョウも消えました。私の飼い猫も水を飲み死にました。

やがて、田から生き物が減るのは行き過ぎと人々は悟り、人手の代わりに鴨が登場しました。大変な進化ですが哀しい鴨の運命を伴います。これから鴨の幸せある農業に進化して欲しいものです。

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お米の話(その1)   おにぎりと菓子パン

2007年12月11日

 先日、エコライス有限会社さんの依頼で中越沖地震の視察に行ってきました。テレビに映る風景は潰れた家だけですので、神戸的風景を想像していたのですが、さほどではありませんでした。しかし、外見は何もなかったように見えても、中は相当にめちゃめちゃになっていて手もつけられないという苦労は窺えました。

避難所を訪れたのですが、そこでは支援物資の菓子パンが並べられていました。パンは軽く持ち運びに便利というためでしょうか、色々と届くようで所狭しに並べてあります。消費期限を過ぎれば食中毒と生ごみ処理という厄介なことが起きますので、少しでも沢山もらってくださいの雰囲気があります。混沌の中の飽食という矛盾の世界です。日本人には菓子パンは主食ではなく軽いおやつですから、食事のつなぎです。

菓子パンのカロリーを何気なく見たのですが、これまたびっくり、すごいカロリーです。
ピーナッツクバターパン一個660キロカロリー、メロンパン500キロカロリーの表示です。菓子パンは胃に溜まりません。チヨットお茶と一緒に軽く三個などと気安く食べます。糖尿病やメタメタ病の方も非常事態では節制意識は吹っ飛んでいますので、危険があります。

 日本の災害ではおにぎりと相場が決まっていました。真夏ではおにぎりは腐りが早いという懸念から敬遠されがちです。しかし、日本が世界に誇る我らの仲間おにぎりはかなりヘルシーです。中味なしのプレーンライスボールは一個170キロカロリーです。中にたらこ入れて海苔で包んでも250キロカロリーぐらいです。ピーナッツバターパンとメロンパンではおにぎり五個分でしょう。

 災害非常食の中で糖尿病、肝臓病、腎臓病の方は、飽食は危険です。菓子パンは手軽ですが身体にかなりの負担を与えます。日本では昔から災害時は「炊き出し」という伝統があります。炊き出しは暖かいご飯と味噌汁と漬物です。暖かいご飯をいかにスピーディに提供するかが災害食だと悟った次第です。

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中村教授世界を歩く(その5) コートジボワール

2007年04月12日

コートジボワールは西アフリカにある国です。国は北緯五度から十度に入る熱帯の国です。気候をみると南部は熱帯雨林気候で、北部はサバンナ気候でした。私は当時の首都アビジャンで二年半過ごしました。アビジャンは最南で平均気温30度、雨季は湿度100%
でしたが、何もかもかびてしまいます。ハンドバックは1週間で真っ白になりますので、ご婦人は週一回ハンドバック磨きをやっていました。

ここでアフリカ全体について話してみましょう。アフリカはまず大きく二部できます。アフリカ大陸は頭蓋骨の形をしていますが、脳に当たるのがサハラ砂漠です。アフリカ大陸はこの砂漠で大きく二分され、サハラ以北、サハラ以南と呼ばれます。サハラ以北は北アフリカともいい、人種は黒人ではなくアラブ人です。従って、北アフリカはアフリカに含めません。

サハラ以南は黒人国家ですので「ブラックアフリカ」と呼ばれます。サハラ以南は東、西、南、中央に分かれます。東はケニア、エチオピア、スーダンなどがあり、西はセネガル、ガーナなどが、南は南アフリカ、モザンビーク、ボツワナなどが、中央はザイール、
カメルーンなどがあります。

 では、コートジボワールはどこにあるかといえば西アフリカです。周辺国にギニア、ガーナ、ナイジェリア、ニジェールなどがあります。国名はフランス語で、コートは海岸、ジは英語のofであり、ボワールは象牙といういみです。日本語では「象牙海岸共和国」です。日本人には、ああ、そういえばそういう国の名を聞いたことがあるという程度で、馴染みが薄い国でしょう。日本人にはそうでも、ヨーロッパ人にはアフリカでは近いので馴染みの多い国になります。

 首都はヤムスクロで32万平方kmですので、日本から四国を抜いたぐらいの大きさです。
人口はそう多くありません。私は昔この国で日本国大使館にいて一等書記官をしていました。当時の首都はアビジャンで、国は繁栄していました。アビジャンは小パリと呼ばれ、小奇麗で治安も安定していました。

 私は国の統治は国民が為すものと思っています。国民のベクトルが一定の方向に向き、互いが譲り合えば平和でいい国になります。でも、自分の利益だけを主張し、互いに争えば、皆の向く方向はバラバラで国が乱れます。今のイラクは自己利益だけを言い合っていますので国が乱れに乱れています。私が住んでいたころはウフェー ボワニーという強大な力を持った大統領でした。専制政治といえばそうですが、大統領の人格は穏やかで、国民は争わず平和に暮らしていました。
でも八十数歳で、いつまで生きられるかが日本人社会での話題でした。彼の死後、国は安定を保っていられるか、の議論でしたが、多くの日本人は「ノー」でした。住んでいる日本人はアフリカ人の性格を知っていましたし、周りに安定していた国は少なかったので、みな、専制政治は安定で美と思っていましたが、後に控えていた大統領候補は専制をできるような人はいませんでした。私も専制者が大統領にならなければ悪がはびこると信じていました。

 そして、日本に帰り数年して、次第に新聞にコートジボワールの内戦が掲載されるようになりました。国は乱れに乱れ、武器を持って争います。フランス人は緊急飛行機を用意し、住民は脱出という表現で出国しました。現在でも争乱は続いています。アフリカ人はどうしてこんなに国を治めきれないのか不思議に思います。

 コートジボワールに二年半暮らしていましたが、当時は食事はおいしく、楽しい日々を過ごしました。人々はずんぐりむっくりとした体格で、笑顔で親切でした。なぜ、そういう性格を政治に生かせないのか理解しにくいものがあります。

 何年も過ぎてしまい、たよりに聞くコートジボワールは今でも内乱状態にあるということです。アイススケートのあるホテル、海岸の小屋でビールとアチャケ(クスクス)と焼いた鶏の肉を食べたこと、自動車で出かけ、広々とした緑の地を眺めたことなど懐かしく思い出されます。また、いずれ国が安定する日もくるでしょうが、今の私にははるかに遠い、そして昔物語になってしまいました。

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